旅果の詩的散文録

転ばぬ先の杖、自由奔放人間旅果が心情を吐露します。なんとか生きる、これが一番と信じてます。皆様や精神疾患の同胞が楽しめる絵画ブログを目指します

絶望=死

絶望してはいけないし、中々絶望とは容易くなく

口にするほどの絶望を失望というのだと思います。

 

あらゆるものが生まれて、死んでいく、この地球を

 

見ていると、何も意味などなく、ただの意味のない踊りの

 

ようだとも思えます。

 

仏陀は虚しさ、儚さを悟ったのか、未来を信じれたのか

 

それとも信じれなかったのか、わかりません。

 

ただ般若心経にはこの世の虚しさが書いてあり

 

ふと、この無職、零細農家、零細画家、零細投資家という

 

人生が笑えてくるし、死ぬべきじゃないかとも思えます。

 

自分だけのことでもなく、万物流転と人々の努力

 

貨幣経済、ペットを飼うということ。衣食住

 

感謝するべきもの、それさえ忘れ、虚しさ、無意味さが

 

頭をもたげ、失望の積み重ねばかりです。内も外も

 

結局はゼロなんじゃないかと、思えてくるのです。

 

忙しく、働けば、そんな鬱になんかならないと

 

いうけど、それは視点を変えて、意識をその虚無に向けてない

 

だけなんじゃないかと、思うのです。

 

気づいたら中年男になっていました。頭もハゲた部分があり、

 

脂肪肝になっています。生きるためにも、絵に集中しなければと

 

思っています。人が見る、見ない、より稼げる、稼げない、より

 

生きるために、自分の正義を通すためにも、絵を描くのです。

 

他人は時には白い目で見るでしょう。非難してくるでしょう。嘲笑

 

してくるでしょう。しかし、これは私の運命であり、あなた方にはわからない

 

のでしょう。主義、主張が違うのです。彼らは、自分より、社会を崇めている

 

自分を矮小化しているのに過ぎないのです。それはやはり学校教育の成した

業です。そうなるといよいよ、

 

学校教育の悪を断じたくなります。日本人に社会を神様のように崇める

 

傾向が強いことが、結局、生活保護バッシング、障碍者叩きにつながってます。

 

外国ではこの傾向が強くなく、一神教の国では社会は神ではなく、

 

神は神だ、で通っているはずです。

 

まぁ失望のハードル競争ですよ。いつ巨大なハードルにぶつかり

 

死ぬか、どうかの話だと思います。

 

「踊りながら、競争をし、飛び越えられないハードルにぶつかって死ぬ」

これが真理です。