旅果の詩的散文録

転ばぬ先の杖、自由奔放人間旅果が心情を吐露します。なんとか生きる、これが一番と信じてます。皆様や精神疾患の同胞が楽しめる絵画ブログを目指します

道導

あなたたちとはわたしたちだ

わたしたちとはあなたたちだ

うだるような暑さ

太陽の園

導かれし 永遠の生命

必ず彼らはもどってくる

 

虚空を見つめ 僕はまだ死ねない

この道導をあなたたち

わたしたちに刻み込むまでは

 

生者の無慈悲な行進 道を誤るなかれ

その頭に刻み込むのだ

神こそが全てだと

 

文字を書くことができると驕ってはならない

たとえ繁栄と滅亡を繰り返そうと

文明こそが外道の道だと気をつけねば

また、ため息ばかりさ

 

詩人よ、詩え、書物よ埋もれよ

絵画も踊れ 生命よ笑うのだ 叫ぶのだ

涙にくれるより 神の導きを

信じ 明日を待とう!

 

この神の御心の中で 理とともに生きん

その道導よ 永遠に、わたしたちあなたたちと同行せん

 

風自体に意味はない。

この世界を生ききるぞ、と考えた。

それは実際、思考であり、意思でしかない。

結局は運なんだなとも考えた。

西日本自動車旅行に行ったのは運だ。

そうあらかじめ神様が設定していたのだ。

この世界で自分、自己があるものなんて存在しない。

僕は日本列島に住む人々の中の敗北者として、生きるほかない。

考え方や視点を変えれば労働者階級よりマシじゃんと思えばいい。

このブログはある意味、僕の物語であり、聖典だとも言っていい。

異端者の書き連ねた思念である。無償は当然として

無意味も当然、苦痛も当然である。

今回の旅で特筆すべきことはない。できればこのような旅

は最後にしたい。阿蘇市の老人センターの隣の温泉施設に入っている

時は「クソダワケみたいに、なんで俺ここにいるんやろ??」と

考えた。答えは風の中だ。

絵を描くニート、愚痴を言う、ヨーロッパ旅を夢見る

人を憎み、嫌って生きてきた。

その中で友や恋人、異性を欲することもたくさんあった。

僕はどんな人間になりたいのか、、全く分からなかった。

昨日は、人類を皆死ぬ運命だと笑い

今日は人類は生き残り続けると信じた。

地球温暖化、核戦争、地殻変動、太陽系の変動

恐れても仕方がないことを恐れた。

僕は確かに無職もんの今風に言えばニートだった。

だけど、今は開き直れる。それがどうしたと言えるね。

人間は色々人と違ってできていて大きく違うということもあるからね。

絶対にニートでいい。人の人生を変えようとするのは人権侵害だ。

自分の心配していろと思うね。絵で金を稼げないけど働かなかった

高名な画家は過去何人も存在していたしね。自分がその人生

を選べるのなら、必然的にそれを選ぶしかない。

働くのは苦痛だ。きつい。それに毎日同じことで飽きる。時間も

厳しく守らなければならない。集団行動が嫌いで時間が守れない

僕は結局、こうなる運命だったとしかいいようがない。

批判はすればいい。だけど、変わらないよ、人間は。

本質は変わらない。本質や精神性、脳内がニートなら

どう変われるのかな。誰かが鞭や銃で僕に十年間24時間つきっきりにできるのかよ。

喫緊の問題は6月18日だ、悩ましい。

大きな岐路だ。それも勘違いかもしれないが。

旅だ。旅にでるんだ。西へと。まぁヨーロッパに行くのに比べれば

大したことはないけど、あるいみ節目なんだよな。悩ましい。

ヨーロッパには多分行かないけどね。お金高いし。ユーロ高半端ないよ。

そりゃレオナルドダヴィンチさんの絵を見たいけど。ミレーさんや

ミケランジェロさんの絵も見たいさ。モネさんや、ダリさんの絵を見たいさ。

でも行かない。飛行機でのタバコの問題もある。きついよ行くだけで長時間だし。

ウクライナ戦争もあるし、難しいな。

 

 

 

永劫の忘却

世界が終わるとき、彼はようやく聖杯を飲み干せるだろう

人間の罪業を背負い、いみじくも無意味な死生と共に

確固たる自分自身を、生贄と捧げ

美しき園を永劫の忘却へと葬り去らん

彼は言った、愛した、そして怒りを持った

無意味と悪行と懺悔に

壮絶なる虚しさを感じたのだ

しかし、彼もまた一人の女を愛した

人間たるゆえん、野獣の子孫なのだ

終わらせたければ、終わればいい

始めたければ始めればいい

どちらにせよ生贄なのだから

L氏への最後のメール

お別れの時がきた感じがします。
結局何もできなかったけど、あなたを祝福します。
Boyfriend、とても良い曲でした。自分の道を進んでください。
自分は底辺で孤独と見果てぬ夢と人間への愛と憎しみに包まれながら
一切の悔恨もなく、宇宙と地球生命の流れに沿って天寿を全うします。
こんな小さな命、非力さ、潰したいなら潰せばいいと思っています。
音市音座に行き、最後の豆粒のような家入レオを見て、good bye
と心で念じることでしょう。まるで地球が静止する日という映画を
僕は想い起しています。人類に害ある宇宙人が最後の一撃を思い留めて
宇宙へと去っていく。なんか、いいです。

ファン

ガチ恋していたタレントアーティストがいるけど、

なんか、自分がファンでいると凋落していく

 

気がして、昨日CDをぶん投げて、ファンクラブも

 

退会して、新しい境地に進もうとしたけど

その魅力には勝てなかった。

 

youtubeの新しいMVを見てしまった。

改めて、想う。こんな美しいものが

この世界にはあるんだと。救いであり、支えだった。

結婚してもショックだろうけど恨みはしない。

 

ファンでいさせてほしい、と今本気で想う。

ファンメール

ライブツアーありがとうございます。名古屋公演、堪能しました。
僕の中で何かが変わりました。最近は長渕剛さんの歌をよく聞いています。
尾崎豊さんも良かったけど、やっぱり長生きしたいなら長渕さんかな、と。
「しゃぼん玉」の歌詞が家入さんと僕との関係を全て表してくれました。
「リンリンと泣きながら、はじけてとんだけど…本当に気持ちよかったよ」
なんか長渕さんの生きる強さの芸術性こそ、生きる弱さの芸術性を救ってくれるのかも
しれないなと、有難い限りです。レオさんとの出会いにも絶対に意味はあったし
儚く消えたとしても、ありとあらゆる存在や出来事に意味はあると、そこを
当たり前のように信じて、歩んでいきたいです。